沖縄に長く移住するコツとは、 | monoblog

monoblog2_image

monobox株式会社は2010年に東京で設立しました。その翌年に沖縄へ家族で移住。当時は何のコネもなく「どのような仕事をするか」も考えないまま住んでしまい、手探りで自分たちの在り方を見いだしていかなければなりませんでした。私たちが拠点を置くのは「うるま市」という場所で、沖縄本島の真ん中あたりにあります。首都の那覇市からは、車で1時間はかからないながらも割と遠くにある感じ。東京にいた頃にしていた「デザイン」「編集」といった業務は、やはり都市部に多く、うるま市にデザイン系の仕事があるのかすら未知数でした。

少しずつ地域の方々と知り合って、自分たちの生業などを話していくうちに「観光協会に入ったら?」というアドバイスをしてくれた方がいました。正式には「うるま市観光物産協会」という、うるま市の観光イベントや観光情報の発信、観光体験ツアーなどを企画・運営する団体です。右も左もわからない自分たちは、その方がおっしゃるとおりに観光物産協会の会員になり、「部会」と呼ばれる地域の観光業者や物産業者の集まる会合に参加していきます。「観光」「イベント」「物産」という三つの部会が毎月1回、ミーティングを開催していたのですが「君たちは全部関われそうだから、とりあえず最初は全部の部会に入ってみたら?」という協会スタッフのアドバイスを鵜呑みにして、月3回(つまりほぼ毎週)の部会に2年近く参加していました(今考えてみると三つの部会に参加してる企業・団体はウチしかありませんでした)。長いと二時間以上かかる部会でしたが、当時は時間もあったし、出不精で人見知りな自分にとっては部会に出れば市内のいろんな方と会うことができて、会合が終わってからのゆんたくでは、思いがけない情報も聞けたので「市内の方々との出会いと情報収集の場」と考えて参加していました。そこで出来た繋がりは、今でも私たちが地域に根付くためのネットワークの起点となっていると感じています。

昨年のことですが、沖縄移住を考える方をターゲットとした媒体制作に携わる機会がありました。この媒体は東京などで開催される「移住フェア」というイベントで配布されるようです(自分は「移住フェア」という存在自体を知らずに移住してしまった無鉄砲移住者です。。。)。その冊子に掲載する、3組の沖縄移住者への取材をしました。彼らの移住歴は私たちと同じかそれ以上の方ばかり。インタビュー中も同じ移住者だからか、移住して良かったことだけでなく、お互い難しかったこと、苦労した点など、話しに花が咲きました。
アパレル企業勤務、飲食店経営、ミュージシャン、という様々なルーツを生業に持つ三組の移住者は沖縄で就職、店舗オープン、就農、と三者三様な生き方をしています。私たちにも言えることなのですが、今までの生業は、長く沖縄で働くための生きる術になるのかと感じました。「沖縄に来るまでに、何をしていたか」。それが一つ、問われるのかもしれません。

岸部さんの職場は北谷にあるショップ。Tシャツは沖縄のお土産の定番として人気。

アパレル関連の仕事に就いていた岸部さん。取引先の一つに沖縄の会社があり、そこのものづくりの体制を見たときに、岸部さんが以前から思い描いていたものと近く「この企業に入りたい」と思い、移住を決断。当時、その会社は人材の募集をしていなかったのですが、何度も通って面接をしてもらい「三顧の礼」で入社できることに。岸部さん曰く「この会社が北海道にあったら、北海道に移住してたw」とのこと。沖縄より企業が先、ってかなりレアケースなのでは? 彼は今でもその企業で働きながら、沖縄でパートナーと巡り会って、結婚。今では二児の父となっています。

牧野さんたちが営む宜野座のスイーツショップ。売り切れることも少なくない人気店です。

夫婦で菓子店をオープンさせた牧野さん夫婦は、県外ではお弁当屋を経営。オフィス街のため弁当は飛ぶように売れる繁昌店でしたが、家族経営のため繁盛すればするほど、毎日の仕込みや買い出しなどで夫婦で疲弊していたそうです。そこで奥さんのルーツである沖縄へ移住して、ホテルで働きながら沖縄の人や地域と繋がりつつ、菓子店をオープン。弁当屋さんも菓子店も同じテイクアウト専門店。これまでの経験から、飲食店運営のノウハウは十分に活かされているのでしょう。ちなみに牧野さんの奥様は、自分と小中学校が一緒(一個下)ということが発覚。沖縄中部の東海岸で、まさかそんな人と会うなんて。移住直後、知人のウチナーンチュから「沖縄は不思議なことが起こりますよ」と言われたのですが、沖縄では、こんなことが本当に多いんです。

リマさんが育てるタピオカ。これを加工してタピオカサンドやタピオカ粉、
フライなどの商品開発もすすめている。

「やんばる」と呼ばれる沖縄北部に移住したリマさんは、ハーフのミュージシャン。彼は今までのキャリアとは全く違う「農家」と「飲食業」を兼ねた仕事に。彼のルーツであるブラジルのソウルフード「タピオカサンド」の原料、タピオカが沖縄に来たときにたまたま目に止まって、タピオカサンドを作り始めます。イベントに出店しながら「自分で作ったタピオカでタピオカサンドを」という思いから畑を借りてタピオカ農家へ就農。

タピオカを使ってつくるポテトチップス。
試作段階を味見させてももらったら結構おいしかったです。

畑を荒らすイノシシ対策に試行錯誤しながら、今ではタピオカ加工の工場と店舗を準備中。ルーツである母国の食文化を生業にすべく、リマさんらしい人生・生き方をタフに歩んでいるな、と感じます。

CONTE_の定番料理「県産豚のロースト マスタードソース添え。
主菜と副菜をいろいろ合わせて食べるのがオススメです。

ざっと、彼らの移住を書いてみても三者三様。それぞれの個性が光っています。そういえば先日、沖縄CLIPで取材したCONTE_さんも移住者でした。CONTE_について簡単に説明すると「移住者同士が沖縄で出会って、結婚して、独特のカルチャーを発信する食堂を運営している」。これだけ書いてみても個性を感じずにはいられません。

多分、100人の移住者に移住についてを聞いたら、100通りの答えが帰ってきそうです。そしてみなさん、個性的。ひょっとしたら、移住すると個性が溢れ出てしまうのかも。これから移住を考えている方の参考になるのかどうか、、、を考えると少し心配ですが、いろんなケースを知ることで、自分たちの移住のビジョンを描くことに役立つと思います。移住の媒体についての情報は、後日アップできればと思います。

そして、話しを聞いているうちに彼らが共通に認識していることを見出すことができました。それは「今までと同じやり方を通すと上手くいかない」。移住先で地域の方の言葉に耳を傾け、自分の「今までのやり方」に修正をかけてみる。それを繰り返すことで、地域に合った仕事の仕方に馴染んでいく。「生業を活かしながら沖縄に沿ったやり方を見つけていく」。これは、私たちも日々模索し、対話しながら、常に答えをアップデートしていることだと、インタビューしながら気づきました。それを続けて積み重ねていくことが、きっと移住を長く続けるコツです!!!

、、、と、声を大にしてここに断言してみましたが、これはあくまでコツの「一つ」。他にもたくさんのピースがありそう。「移住」については、これからもテーマとして書いていければと思います。


「monoboxに仕事を依頼したい」と、思った方はコチラ!