答え合わせ | monoblog

バットマンのラスト

先日、映画『バットマン』を観ました。最近の『ジャスティスリーグ』シリーズの一個前、クリストファー・ノーランが監督をした三部作。シリーズ最後の作品『ダークナイトライジング』を観終わったカミサンが「いやー面白かったー、続きが観たい!」と。えーと、一応このシリーズはこれで終わりなんだけど。それに、このラストだと続かないんじゃない?「え、なんで、生きてたじゃん」。「いやコレは、理想のハッピーエンドを描いてるけど、実は死んでる的なラストでしょ」「いやいやキャットウーマンいたし!」などなど。ラストの解釈にあーだこーだと揉めました。ノーラン監督の別の映画『インセプション』のラストシーンも「夢か現実か」の答えが出る途中で終幕するので、その答えは観た人にゆだねている気がします。観ている人それぞれ、いろんな答えが出てくるものですね。

答えの出し方でその後も変わる?

反対に正解のあるものの一つが、子供たちのドリル。そして、面倒なのがドリルの採点。答えを見ながら採点するのもなかなか慣れないし、子供(とくに息子)の文字が汚い。クラス全員の採点をする学校の先生、尊敬します。照らし合わせるのがめんどいから、自分で問題読んで答え合わせした方が手っ取り早いかもしれない。ただ、自分で問題といてみると、問題も答えも「ビミョーな問題」が見つかったりします。この問題、モンダイありかも? 的な。

息子の文字を解読しながらドリルを採点してみると、算数は毎回それなりに間違ってますw。ある日の2ページは半分以上が間違ってました。採点後に赤字を返して、息子が直す。上がりをみると、あんまり直ってない。また返して、修正する。でもすべて正解にたどり着かない。繰り返すうちに、息子のテンションはドンドン下がっていきます。一旦ドリルを止めて、バスケのシュート練習へと切り替えてもらいました。そのあと何度かやりとりして、ようやくドリルの2ページが終わります。算数に対する気持ちが入らないまま解いてみたら、間違いだらけを指摘されて愕然として、後々まで尾を引いてグダグダになっていく。それは、なんとなく「考えなしに手を動かしてテキトーに仕上がってしまったデザインと、その後の経過」を見ているようで、初動の集中力とか、それまでのタメとか、好奇心とかテンションが大事。と、改めて自分にも言い聞かせてみました。まぁアラフィフの独立系デザイナーで「テキトーに作る」とか、死活問題になるのでやりませんけども。。。

投稿記事でキャンプファイアー!

なら「デザインの正解」って何だろう? と問うてみたところで、なかなか答えは出せません。今まで仕事をしてきたなかで答えの「指針」としているのが「増刷依頼」や「継続受注」です。商品ラベルや会社案内、パンフレットが、クライアントからターゲット・消費者に届いて、一定の評価を得られたと考えられます。もちろん、媒体を配布した企業、商品を販売しているお店やメーカーの努力が、消費者から評価されたいちばんの理由です。増刷時にクライアントからお客様の反応などの詳細に聞いているとき、ウチが制作したデザインの「答え合わせ」をしている時間だと感じます。すべての案件で、こんな答え合わせが出来たらいいな。と、思いながら仕事に取り組んではいるのですが、なかなかそうはいきません。

映画の解釈では揉めますが、monoboxの記事制作は「取材・執筆」がカミサン、「撮影が自分」という役割がハッキリと決まっています。そして、執筆後のテキストは自分が推敲し、撮影した画像のチョイスはカミサンが選定する。それぞれのパートを相手が確認することで、記事のバランスや問題点を見つけることを目的としています。これも取材・撮影を繰り返すなかで、対話や議論を重ねた(揉めた)結果、こういうカタチに落ち着きました。そんなルールを敷いて、編集部の確認をとったにも関わらず、投稿記事が大炎上したことがあります。

編集部で記事の意図は通ったけども、読者はそうは捉えなかった。そこまでの考えに配慮がなかった、捉え方の側面や領域を今よりも広げて、深く考えないといけない。そう思うに至り、いろいろ学ばせてもらいました。メラメラと燃え上がるのコメントを読むのもある種の「答え合わせ」。そこには参考になる意見とともに「正義の鉄槌」な思いが力強く込められ、効果は絶大でした。投稿自体は批判的なものより、「いいね!」の数が上回っていました。半面、自分たちの精神的ダメージも大きかったです。

人の火事場を野次馬するうちに

そんな炎上案件からしばらく経った、ある年の12月。タイムラインに「糸井重里」「フェリシモ」「神戸市」といったキーワードが目につきました。見ると『神戸市のクリスマスツリー』の一件でした。糸井さんに、プランツハンターの人、あとは糸井さんの会社「ほぼ日」のアカウントのつぶやきに、大量のコメントがついています。「ほぼ日手帳は絶対買わない!」といった、強い口調の商品不買宣言も数多くありました。ほぼ日のアカウントからは「様々な意見を出すことも狙いの一つ」といったコメントが出されました。「黙っていると、全ての非を認める」と解釈される風潮のあるSNSでは、言わないよりはマシなのかもしれません。ただ、反応している相手には全く効果のない、むしろ火に油を注いでる結果となってました。自分の炎上案件もあったし、野次馬根性も働いて、その日は「ほぼ日」のアカウント追い続けながらいろいろ考えてました。
“ほぼ日が絡むと波及効果大きい”
“でも、巷の反応が目論見と違ってたときには、逆に大きな痛手にもなる”
“サイトの方にも少なからず影響してくるのかなぁ”
ここで、ほぼ日の本サイトも確認してみようと移動してみました。
“ほぼ日手帳の売り上げ、この反響からすると少なからずダメージあるかもなぁ。。。”
“それにしてもほぼ日手帳って、こんな種類あるんだ、、、カバーもいろんなデザインがある”
“そういえば「これ無いと仕事出来ない」て知人が言ってたな。。。”
“『ほぼ日5年手帳』とかあるの? 5年も使い続けるのかよ。つーか『ほぼ日5年手帳の使い方ワークショップ』とかあるのか!? 手帳の書き方習おうなんて、考えもつかなかった”
“そういえば手帳なんて、もう10年以上使ってないなぁ。。。”

気づいたら「ほぼ日手帳」の売り場をアレコレ見てていて、目の前には「カートに入れる」ボタンがありました。

アレ?  ひょっとして自分、いま買おうとしてた???

無関心から関心層へ

嫌悪してる人に好きになってもらうより、無関心な人に好きになってもらう方がずっとラク」と、以前仕事した人から聞いたことがあります。「絶対買わない!」と強く言ってた方々は、普段でもたぶん買わないのでは。もし自分が毎年手帳使ってたら、「使い始めようかな?」なんて気持ちがあったら、ひょっとしてポチってたかも?  炎上時はクリスマスシーズン、一月はじまりの手帳買うにはタイミングも合っています。その時は、ハッと我に返って静かにページを閉じましたが、この一件で「炎上商法」が、少しわかった気がしました。「誰に伝えるか」を選ぶのも、答えの一つなのかもしれません。

毎日の生活のなかで正解のない答えを出す機会、溢れている気がしませんか? 考えて出す答えや無意識に出た答えに、予想外の反応もきたりして、その対応もラクではありません。模範解答集でもあれば良いのだけれど。答えと結果を振り返って、その答え合わせして、また次の問題へ。炎上もキチンと答え合わせすれば、次第に慣れて「炎上商法」としてコントロールできるのかな。と、当時を振り返ってみましたが、、、思い出すだけで「カンベンしてくれ〜」と心の声が聞こえてくるような、、、ここの答え合わせは、まだまだ時間がかかりそうです。