もし自分に子供がいなかったなら | monoblog

先日、沖縄のサウナに入っていたときのこと。備え付けのテレビからは「バイキング」という番組が流れていた。10歳のYoutuberを話題に取り上げ「教育」だったり「不登校」といったキーワードについて、出演者たちがアレコレ話していた。そこで、司会の坂上忍氏が「もし自分に子供がいたなら」と話しはじめた。彼は子供の不登校に対しては反対、できるだけ子供が学校に残る可能性を見出し、段階を踏んで子供に諭していき、なるべく学校にとどまって壁を乗り越えてもらいたい、といった意見を言っていた。
その意見に対してよりも「もし自分に子供がいたなら」に気持ちが引っ張られた。ならば「もし自分に子供がいなかったなら」10歳のYoutuberや不登校に対して、自分がどう思っていたのだろうか。

もし自分に子供がいなかったなら

子供がいないけど結婚はしてるのか。結婚したけど子供ができる前に離婚したのか、それとも結婚もしてないのか。もしかしたらカミサンと出会ってなかったかもしれない。カミサンと出会ってなかったら、どんな未来を過ごしていたろうか。記憶を辿って、20年前を思い出してみた。

26歳の頃、デザイナーからの提案を受けて編集からデザイナーに転職。アシスタントとして働き、ギャラは基本給に加えて入る仕事によって歩合で貰っていた。カメラマンを含め3人体制で仕事をしていた当時、キャパシティを超える仕事がいくつか同時期に入ったことがあった。土日も休み無しで朝から出勤して撮影やデザイン作業を同時進行でこなしても、毎日終わるのが夜中までかかっていた。その仕事がほとんど収まった頃、手渡しで貰ったギャラは、受け取った瞬間に封筒の厚みと重さがいつもと違うことがわかった。「全部飲み代に使っちゃダメだよ!」とボスから釘をさされつつも、心は「どこの酒場へ行こうか」と考えていた。

当時は恵比寿に住んでいた。といっても超がつくオンボロアパートで、家賃も恵比寿にしては破格だった。「好きな酒場から歩いて帰れる」というのが恵比寿に住む大きな理由だった。仕事も一段落ついて、全然飲みにも行ってなかったので、早速友人に連絡を取って飲みに行く約束をつけた。

右か左か

友人はイタリアンレストランの厨房で働いていた。「ホームズ」という愛称で皆から親しまれていた。大学時代にロシア語研究会に所属していて、ロシア文学をはじめ独特な読書遍歴をもっていた。ドフトエフスキーから『噂の真相』、『がんばれ番長』という漫画まで、いろんな本を彼から教えてもらった。

ホームズの仕事が終わって22時頃に合流した。金曜の夜で珍しく明日は二人とも休みだった。さてさてどこに行こうかと歩き、恵比寿三丁目の信号機まで辿り着く。右へ行くと以前バイトをしていて、客としてもよく行くレストランバーがあった。左へ行くと沖縄料理やおばんざいを出す、こちらもバイト経験があって、よく飲みに行くダイニングバーがあった。右へ行くか左へ行くか。

ホームズも自分も週末の仕事終わりでヘロヘロだった。グダグダした話し合いの末、なんとなく左を選んで「アダン」という店へ向かった。入口のドアを開けると顔見知りの店員が迎えてくれたけど「いま満席なんだよね」と言われた。ただ、バイトしてるし馴染みもある。二階の玄関の靴箱の横に、ちゃぶ台を置かれてそこに座布団を二枚敷いて即席の二人卓を作ってもらい、そこで飲み始めた。居心地が良い場所では無かったけど、二人とも疲れていたし席を作ってくれただけで満足していた。二階も満席で人がひしめきあっていた。その、即席のちゃぶ台卓の隣にあたる席で三人で飲んでいた客の一人がカミサンだった。

では右を選んだ後の自分の人生は?

ひとまず恵比寿三丁目の交差点まで戻ってみる。左を選んだらカミサンと出会って結婚し、子供が三人できて、そのあと転職を二回してから、デザイン事務所を立ち上げて、それから沖縄へ移住して、うるま市という場所で工芸の店を立ち上げ運営して、東京の百貨店に毎年何度か展示会をしている。

もし自分があのとき右を選んで、カミサンと出会わず、子供がいない人生を歩んでいたとして。それから20年経って、学校に行かない10歳のYoutuberが出て来たとき、彼に対してどう思うかと考えてみた結果、、、答えは「よくわかりません」だ。ここまで引っ張って、友人の説明まで聞いて答えが「わかりません」かよっ!! と突っ込まれそうですが、左の人生とバランスの合うような抑揚をもった右側の人生が全く想像つきませんでした。子供がいなかった人生が思い描けない。自分にとって子供の存在が、人生に大きく影響しているんだと思う。

ちなみにホームズとは、移住する数日前に焼き鳥屋で飲んだのを最後に、一度も会ってない。その時、紆余曲折あってそのうち東京を離れて実家の秋田へ戻ると言っていた。大学時代に付き合っていた彼女とは紆余曲折あった後に結婚することも決まったらしい。移住後、こちらも紆余曲折あって、ホームズも実家に戻ってから多分、紆余曲折あったはずだから、お互い音信不通になった。

そんな彼から、3年ほど前に突然連絡がきた。

実家の近くにできた秋田県にかほ市の観光物産の拠点施設「にかほっと」にピザ屋をオープンするという。ロゴのデザインをお願いされた。もちろんお祝いも含めて二つ返事で請負った。できたお店は「きさかたPIZZA」といい、イタリアンで修行した彼のウデで、地元の食材をふんだんに使ったピザを提供するお店だ。

秋田県の「にかほ市」は自分が住む「うるま市」と同じく合併した市町村で、直売所やフードコートなどを兼ね備えた地域の施設に関わっているのも、何か縁を感じている。お店へはまだ行ったことは無いけれど、きさかたピザのfacebookページを見ると、「サクラマス」「ズワイガニ」「セリ」「ハタハタ」といった、地元の旬の味を使った美味しそうなピザの写真が上がっている。以前から彼が働いていたイタリアンでよく食べていたし、コメントを見ると地元での評判も良さそうだ。友人がオープンしたお店で、ロゴも自分が手がけている。「にかほっと」の視察も含めて、いつか必ず行きたいお店の一つ。ということでみなさん、秋田に行かれるなら「きさかたピザ」がおすすめですよ。


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