転機・転職/分かれ道 | monoblog

先日、企業訪問を受けました。毎年企業訪問として沖縄のデザイン系専門学校の学生が、事務所を訪れます。就職活動を前に、自分が興味を持つジャンルの企業へ行き、いろいろとリサーチをする機会になっているようです。

話しを聞いてみると、今年来た学生は、どのような職種を希望するか、どの地域で就職するかなど、具体的なプランが決まっていました。素晴らしい。そんな彼女と話しているうちに自分の専門学校時代の就職活動について思い出していました。

卒業式の日に「シフト入れない?」

と言われるほど、バイトに明け暮れてた学生時代。コンビニの深夜とカフェとゲーム雑誌のライターを掛け持ち、卒業式もシフトを入れられ不参加に。就職活動をはじめたのは卒業後でした。バイト先からは「このまま雇おうか? 正社員いけるよ?」とありがたい声をかけられながらも、当時通っていた専門学校は紙媒体の制作を教えてくれるところだったので、卒業後すぐに飲食業界に入ってしまうのももったいない。そんな貧乏根性もありつつ、就職雑誌(1996年頃、職探しは紙媒体だった)で見つけた会社に電話して面接、編集として採用されました。

当時は就職氷河期と言われる時代になりつつあり、専門学校卒で、卒業後から就職活動をしている自分にとって選り好みなどできません。しかも、最初の面接で採用してくれるなんてありがたい。入った会社は学校案内をメインに作る会社。本当は雑誌が作りたかったのだけど、そんなわがままを言ってられる身分でもない。そう感じながら、その頃話題になっていた「就職して3年で辞める若者たち」という本だか記事があって「そうならないようにしなきゃいけないのかな」と、3年は頑張ろうと心に誓いました。

で、3年2ヶ月後に退職。学校案内ばかりを作ってみるとその面白味というのも少し見えてきてたのですが、若気の至り、そればっかり作ってるのもなぁと。その次に、出来たばかりの小さな出版社に入りました。新雑誌創刊の準備が慌ただしい会社でしたが、その雑誌にアサインされていたデザイナーに誘われ、編集からデザインの道へと進みました。

それから3年近くたった頃、カミサンと知り合って結婚。すぐに子どもができて、子育てや住まい、そして仕事についていろいろと考え直さなくてはならないことになり、転職。このときも「早くに仕事を決めなければ」という思いから2〜3社に電話して面接して採用してくれた編集プロダクションに社内デザイナーとして入社しました。

ここが、なかなかタフな現場、タフな環境、マッチョな体質でした。コロコロが壊れたイスに座りながら「あれ、入る場所間違っちゃった?」などと後悔したのですが、当時29歳で就職も3社目。ここですぐに辞めてしまうと、履歴書とかで微妙なイメージになりかねない。実用書や書籍などを同時進行でたくさん作る会社だったので、とりあえず「100冊作るまでは頑張ろう」と思いました。

ここの会社は編集がメインで、デザイナーは自分一人。毎週、月曜の朝に編集企画会議がありました。そこで、出版社へ売り込む「出版企画書」を各編集が会議で出すルールだったのですが、上司から「元編集だったんだから、君も企画書を出して」と言われ、デザイナーだけど、毎月企画書3本のノルマが課せられました。

そんなこんなで、月に2〜3冊ペースで本の制作をしながら、毎月企画書を提出しつつ3年半。コロコロが壊れたイスをガタガタいわせながら、100冊は届かないながら70冊以上は本を作って、企画書も100本以上提出しました。デザイナーながら、版元に3本企画書が採用され、そのうち二冊は本になりました(企画が採用されてから出版されるまでに、出版社や監修者の間で自分の企画はモミモミされ、魔改造を受けて、最終的に全く別物となりました)。

またまたまた転職。で、やり方を変えてみる

で、100冊まで届かず、志半ばで転機が訪れてしまいます。理由は「給料の遅配(2回)」でした。子どももいるし、収入が安定しないのはちょっとマズい。いよいよ、またまたまた、の転職です。ここで初めて自分の就職について振り返りました。また、義母から「自分を高く売る」という言葉を言われ、いろいろと見直そうと思いました。

これまでは「なるべく早く決めなきゃ」というのが就職の最優先事案でした。そして、すぐに入社できたけど、後悔することもあった。ここを変えてみよう。まず今まで自分のやってきたことを全て出して、履歴書の他に「職歴書」と「関わった本のリスト」を作成しました。また、見本としてリストに乗っている本を全て資料として持っていくことにしました(大きなバッグがパンパンになって、めっちゃ重かった)。

次に会社のアプローチについて。今までは条件と内容で「だいたいここらへんかな?」という自分のイメージといけそうなところを忖度して連絡していました。その結果すぐに採用になったのですが、このときは「ちょっとムリそうなところ」「年齢、学歴など条件があってないところ」「ここは逆に入るには厳しいかな」といった、会社にもアプローチをかけてみました。「ここなら入れそう」とか「ここに入りたい」というより、自分の職歴がどう評価されるか、を踏まえてあえて企業探しも視野を広げてみました。

そして面接です。薄々気づいてましたが、自分、やぱり面接が苦手。そこをどう克服しようと考えたのが「面接の練習を実践で行う」ことでした。企業探しの視野を広げた結果、最初から「ここは条件的に働けないかなぁ」といった企業にもアプローチをかけていました。採用されたとしても諸条件があわないので入社が難しい会社なのですが、あえて面接を受けてみます。はっきり言って時間と労力の無駄なのですが、そこで自分の面接の話し方や、資料の説明の仕方の練習ととらえ、面接官がどのような反応を受けるか、というリサーチもすることにしました。

そこで見えてきたことが「自分の話すスピードが早すぎる」ことでした。もっとゆっくり話す。説明の内容もゆっくりわかりやすく話せるように修正を加えてみました。相手の反応を見てみると「履歴書の企業名より何をしていたかをよく聞かれる」「関わった本のリストも結構反応がある」「たくさん持ってった実績資料は時間的にそんなに見られない」といったことがわかりました。

面接を重ねるたびに気づいたのが、面接官が聞いてくる質問内容がだいたい似ていること。なので、その答えについてもブラッシュアップ(嘘とかは言いません)していく。新たな質問が出たときは、その場はアドリブでこたえつつ、メモをして、面接後に質問について反芻し「自分的公式ステートメント」を考えていきます。また条件など、会社から提供される情報もある程度同じでしたが、特徴的な情報を提供してくれる場合もあります。それもメモしておいて、会社への質問項目に追加しておきます。企業側の情報もなるべく同じにしておくと、最終的に判断するときに貴重な情報となってきます。

これを繰り返すうちに、自分の面接における話し方はゆったりとわかりやすくなり、基本的な質問の答えも緩急などをつけて返答でき、変化球の質問にたいする公式ステートメントもつみあがり、自分のプレゼンテーションの質は上がっていきました。すると、だんだん面接でも緊張感に余裕を持つことができてきます。そうなってきたあたりで、見つけた募集広告(2000年代なのでwebになってました)に「ここはいいかも」という、コチラの条件などにも良さそうな企業がいくつか出てくるタイミングになってきました。

面接の練習をしつつブラッシュアップしながら、質を高めていくなかで「ここは!」という出会いの面接がいくつか出てきます。結局、内定の通知を複数いただきました。そこでも「自分がやりたい仕事」というよりも「自分を高く買ってくれそうなところ」を考えて条件や会社の規模を見据えて最終的に返答してみました。

今までの転職と全く別のアプローチをした結果

3年しか持たなかった会社勤めが2年も長続きした!五年も持った!

今までの会社よりも、より密度の高い仕事が沢山経験することができた!

今までは3名〜30名くらいの会社勤めから300名以上の会社に入った(一部上場企業だった)!

管理職(課長)とか経験できた!

その経験が、独立・起業した後の礎となってくれた!

上場企業に入社することになり、そこで課長職まで経験させてもらいました。そのぶん、これまで入った会社のなかでも、特にタフな案件ばかりで、自分史上、最も強烈な現場も踏ませてもらえました。管理職に就いてからはそれまでとは全く別の「お金について」をほぼ毎日追求され、今までとは違った緊張感のなかで、体のどこかがキリキリするような毎日を過ごすことになりました。ただ、そこでの積み上げた経験は、独立・企業してから9年経った今の自分にとって大きな糧となっています。つーか、会社勤めが最長5年て、あまり褒められませんね。おホホホホ。

準備で縁は変えられるかも

仕事や会社とのマッチングは縁だと思います。もちろん「ここが良い!」で選ぶもよしです。ただ、会社と人材のマッチングはホント「合う合わない」が大きいので、採用されなかったからといって、それは本人が悪いというわけではないと思います。まぁ自分も不採用通知は凹みます。また、採用後、その会社と自分が合わなかったというケースも、たくさん見てきました。そんなときに転職を考えたなら、良縁に巡り会うために自分を伝える準備、面接などに磨きをかけてみるのも良いのかと思います。去るも残るも自分次第。なので「考えて決める」ことを日頃から心がけてみると、案外答えも出しやすいです。

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