大切なことは全て、アイツから教わった | monoblog

沖縄でフリーペーパーのデザイン・制作したことがきっかけで、6年ほど前から取材・執筆の仕事を受けるようになった。今でこそ少し慣れてはきた? ものの、しばらくは苦労の連続だった気がする。
とくに苦戦したのがテキストだった。なかなか文章を上手く書けない。仕上げることが難しい。「上手なテキストの書き方」など、web上のリンクを見つけて読んでみると「なるほど!」といったことが書かれている。読み終えてからそれを実践してみると、すぐに文章が格段に上手くなった! なんてことはありませんでした。ただ、文章を書くことに対して「ひょっとして参考になってたのかも」と思うこと、一つ心当たりがあります。

移住するときの物件探しは一つ大きな条件があった。見知らぬ土地でも小学生の長女が、学校まで迷わず一人で通える「小学校に近い物件」。探しているうちに「学校まで徒歩30秒」という一軒家がうるま市にあって、そこに落ち着いた。学校までの道のりを解決した次は、下の二人を預ける保育園を探すこと。

裸足で遊べる保育園

うるま市は他の市町村と同じく待機児童を多く抱えていて、近隣の保育園を探してみても満員の園ばかり。保育園探しは苦労しそうだな、と思っていた矢先「すぐに入れる保育園がある」と市役所の方から紹介を受けた。その時は「何ですぐに入れるのか?」などと全く疑問を持たずに、保育園へアポイントをとってみた。電話すると「ウチは他とは違って特殊ですよ」と言われるも、こちらは藁にもすがる思い。まずは合うかどうか、と面談することになった。「大きな木が木陰を作ってくれる土の園庭」で「基本的に子供たちは裸足で遊ばせます」「午前中はリズム運動をキッチリとやる」。なかなかいい環境の保育園じゃないですか。

注文の多い保育園

オムツは受け付けないので、着替えは上下とパンツを10セット持って来てください」なるほど、ちょっと特殊だ。それから日常生活について「添加物の入った食べ物はNG。食べさせてはいけません」「子供にテレビやDVDなど動画を観せてはいけません」「音楽は生音のみでCDなどは聴かせないでください」「寝る前には毎日絵本を読み聞かせてください」「夜は8時までに寝かせてください」「朝起きたら親と一緒に散歩に出かけてください」うん、かなり特殊だ。聞いてるうちに、なぜ、この保育園にすぐ入れる理由がわかった。

仕事もあるし他の保育園は空いてないし、選びようもない。幸いウチにテレビはないから、そこはクリアできそうだ。なんとかやれるかも? ということで「あかな保育園」に入園した。子供たちは最初のうちこそ泣いていたけど、一ヶ月もするとすぐに慣れた。というか、この保育園にめっちゃマッチした。

午前中のリズム運動を見学すると、ガチなトレーニングといった感じだった(危険度とかはありません)。こういった日々の積み重ねから、猿のようにスルスルと木に登って行く子、ボールを落とさずにリフティングをずーっとやってる子、開脚でベターッと上半身を床に着けても平気な子、一度柱にしがみついたら大人の力でも剥がせないくらい力を持った子たちが、すくすくと育っていた。特殊な保育体制で育つ保育園児たちは、運動会でその実力を発揮していた。年長さんの走りっぷり、バランス感覚、体幹、どれ一つとっても今まで見てきたこどもたちとは違っていて驚いた。

強制的「名作への誘い」

ただ、日常で保育園の特殊な条件の実践はかなり苦労した。朝おきたら散歩、たしかにすばらしい。10セットの着替え、まるまる使われるから、毎朝洗濯して着替えの準備をリュックに入れたり大忙し。いろいろバタバタ大変なのに朝起きたら散歩、は難しい。そして寝る前の読み聞かせ。読む絵本は親が選ぶのではなく、保育園にある「図書コーナー」から子供が選ぶシステムだった。

図書コーナーにある絵本はあかな保育園が厳選したもので『スーホの白い馬』や『モチモチの木』といった普遍的な名作や沖縄の昔話の絵本が並んでいた。ただ『ねないこだれだ』といった名作だけど字が少ない絵本が無く、割と文章の多い絵本が多かった。園児二人は、それぞれ好き勝手に本を一冊ずつ選ぶ。だから、寝る前に毎回二冊読み聞かせる。ざーっと早口で読むと怒られる。棒読みだと「もっと心をこめて」と指摘される。「今日はここまで」と言えば「まだ足りない」とせがまれる。反論すれば「保育園の決まりだ」と正義を振りかざす。堂々巡りを繰り返すうちに、真正面から読むのが子供たちが寝る最短距離、とあきらめた。

名作ぞろいだから、読んでみるとやはり面白い。泣ける絵本は「ココ読むと泣いちゃうところ」なポイントの一文が必ずある。ここを泣かずに、泣きそうなそぶりも隠しながら読む。読んでいて気づいたのは、借りてきた絵本は音読していると、つまづかない。スラスラと読める。子供たちがわからない、難しい言葉が少ない。大人なら一つの単語でわかることを、子供にも伝わるように、わかりやすくかみくだいて説明されている。だから「それどんな意味?」といった質問も、それほど多くなかった。

「ひょっとしたら、名作の絵本を読み続ければ自分たちの文章の向上にが少なからず繋がっていくのではなかろうか?」と自分のなかに仮説がたって、それ以降は積極的に読み聞かせをするようになった。。。なんてことは全く思わず「また今日も読み聞かせか〜」、、、というモチベーションで読んでいた。子供たちは絵本のなかでも好きな本を何度も借りてくる。下の娘は定期的に『花咲き山』を借りてくる。この本の泣きポイントが自分の「泣きツボ」を超刺激するので、泣かずにはいられない。かなり苦労する一冊だった。

特権的階級だけが借りられる本棚

年長になると、彼らだけが借りられる本棚があった。そこには絵本ではなく『シートン動物記』といった児童文学の本が並んでいた。特権階級意識が働くのか、息子は年長になるとそのコーナーばっかり(主にシートン)借りるようになる。さすがにシートン動物記は数回にわけて読み聞かせた。このシリーズは12冊(しかもそのうちの二冊くらいは無かった)あって、気に入った息子は、本棚にあったシリーズ全てをかりて、親もシートン動物記を読み聞かせで読破した。オオカミ王ロボを捕獲するためにロボの彼女を捕まえて殺して血でおびきよせる罠をはかったり、つがいのスズメのメスを実験に使ったところ誤って殺してしまったり、動物学者のシートンは、割とヒドいやつだったことがわかった。そんなシートンだけど息子はますます気に入ってしまい、リピートして借りるようになった。同じ本を何度も読み聞かせるのは「終わったドラクエのレベルを上げ」をさせられている気分だった。

息子が卒園して、読み聞かせも一冊になり、翌々年に年長になった末娘は、兄とおなじように卒園までシートン動物記を借りまくった。だから、ウチは夫婦揃ってシートン動物記を読み聞かせまくった。つまり、文章表現において大事なことは、全て「シートン」から教わった!!、、、というのは言い過ぎですね。ただ、四年間、なかば強制的に続けた読み聞かせは、文章表現において何らかの成長を促すきっかけになったのかな、と今では思ってます。

卒園後、見つけた「気づき」

そして、娘も無事にあかな保育園を卒園。あの特殊な条件から解放されてホッとした。それから半年くらい経ったある日、ウチの本棚にアレ? と目に止まったのがシートン動物記の『タラク山のくま王』だった! つまり保育園に返し忘れてた!! それから半年経った1年後、保育園に用事のあったついでに、ようやく返すことができた。あかな保育園の「シートン動物記」シリーズが娘の卒園から一年間、9冊しかなかったのはウチのせいでした。本当に申し訳ございません。ほかの二冊も戻っていることをお祈り申し上げます。


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